本堂 観音堂 ミニ西国 毘沙門堂 地蔵尊 鐘楼 茶室 永代
供養墓
本堂 ほんどう
もっとも広いお堂なので「本堂」と呼ばれていますが、長谷寺の本堂はホントは観音堂です。
以前は「方丈」と「大師堂」のふたつのお堂がありましたが、1985年に改築してひとつの大きなお堂になりました。
法要や法事はここで行われています。
「本堂」は4つの空間に別れています。
南側が外陣(げじん)で、北側の内陣(ないじん)が3つに別れています。
中央が大日殿で、大日如来がおわします。
大日殿に向かって、左の部屋に弘法大師、右の部屋に薬師如来がおわします。
内陣 ないじん



ここが内陣。最も聖域とされるところです。

大日如来がまつられ、手前に大きな壇があります。
この壇には結界が張られています。
聖域中の聖域です。法要のときは壇の前に僧侶が座り、
ここに仏たちを迎えます。

また、
真言宗を伝えた8人の高僧、いわゆる「八祖大師」の肖像画が内陣の両サイドにまつられています。

大日如来 だいにちにょらい
真言宗の中心的な仏です。

すべての仏や菩薩たちは、この大日如来から生まれたと説かれています。

忍者のような手の形をしていますね。「印(いん)」といいます。この印の形によって、どの仏なのかが分かることもあります。

忍者の結ぶ印は、この大日如来を真似たもので、「智拳印(ちけんいん)」と呼ばれます。大日如来の智慧が何物にも傷つかない強さを表しています。

これを結んだのは、厳密には金剛界の大日如来で、胎蔵界の大日如来は法界定印(ほうかいじょういん)を結んでいます。宇宙の一切の存在や現象は、母胎のような大日如来にやさしく包み込まれていることを示しています。



大師像 たいしぞう




平安時代のはじめに唐から真言宗を伝えた弘法大師空海。
「南無大師遍照金剛」の「遍照金剛」も、空海の名前のひとつ。


空海は、讃岐で生まれました。本名は佐伯真魚(まお)。

都で大学に学び、得度して空海を名乗ります。山林修業ののち、唐に渡り、真言宗を学びます。このとき師である恵果から与えられた名が「遍照金剛」です。

帰国後、日本の仏教は、空海の伝えた密教に染め上げられたといいます。

東寺を建立し、学校やため池を作り、また多くの弟子を育て、膨大な著作を残すなど、超人的な活躍をしました。

死後、「弘法大師」の名が与えられました。

高野山の奥の院で、いまも祈りの暮らしを続けているとされています。

薬師如来 やくしにょらい

名前のとおり、人々の病苦を除いてくださる仏です。
左手には薬壺を持っています。

元禄時代、「鼻欠け薬師」として信仰していた老居士が、像を堂とともに奉納したと縁起に伝えています。

ひとつの厨子に、眷属の十二神将とともにおわします。



真言宗では諸仏諸菩薩を年忌の本尊に配します。
法事は、この本尊に亡くなった先祖の導きを頼む意味があります。



ちなみに、大日如来は13回忌、この薬師如来は四十九日の本尊とされています。




地蔵 じぞう





長谷寺では大日如来の西の脇侍仏とされ、内陣の裏堂西側におわします。

大地の徳を具えた仏として、あるいは子どもたちの守り本尊として、
庶民の信仰を集めています。


お地蔵さんは、観音さんやお不動さんと同じく、とても身近な仏さんですね。どこの街角からでも、人々を見守っています。

杖を持っているのは、六界(人・天・地獄・餓鬼・畜生・修羅の6つの世界)を経巡って衆生を救うためです。

法事では、三五日の本尊に配されています。

不動 ふどう

長谷寺では大日如来の東の脇侍仏とされ、内陣の裏堂東側におわします。

大日如来の化身として、人々を救うとされています。

顔はもちろんパワーを感じるルックスの持ち主。

そのパワフルさを買われてか、通夜から葬式、初七日までの、もっとも大切な法事での本尊とされています。

長谷寺の裏山にも不動堂があり、地域の信仰を集めています。




天上画 てんじょうが



本堂の天井には、花や鳥の絵が描かれたたくさんの板がはめこまれ、「花まんだら」と呼ばれています。

1985年の改築の時に描かれれたものです。
当時の鳴門を代表する日本画家たちが参加しています。

書かれている文字は、この絵を奉納した人の名前、絵のスポンサーさんですね。
描いた人は、隅に小さくサインをしています。





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