本堂 観音堂 ミニ西国 毘沙門堂 地蔵尊 鐘楼 茶室 永代
供養墓
観音堂 かんのんどう



ここが本来の本堂である観音堂です。
[本堂」の東側に並んで建っています。

かつては、うしろに見える山の中腹にありました。

山を下ってからは、いまの場所よりもっと手前に、撫養街道に面して建っていました。
そのころお遍路さんたちは、この観音さんに遍路の旅の無事を祈って、1番札所に向かったと伝えます。

遍路の無事を祈るということから、交通安全にご利益があるとされています。
新車を買ったら、拝んでくださいとやって来られます。このお堂の前に車を止めて拝みます。

手前に見える石のテーブルとベンチは、参拝者さんたちの憩いの場です。


十一面観音 じゅういちめんかんのん


こちらが本尊の十一面観世音菩薩さんです。
制作年代等は不明です。
室町時代、この地に住んだ船戸次正(ふなとつぐまさ)という武将が、奈良の長谷寺の観音菩薩を信仰し、ここに勧請したとされています。
奈良の長谷寺の本尊と同木と伝えます。
十一面観音といえば、井上靖の『星と祭』を想起しますね。湖北の十一面観音を訪ねる話。
ぼくは高校時代、新聞に掲載されたこの本の広告に描かれた十一面観音の絵にひかれて、とても高かったハードカバーの本を買いました。つい最近まですっかり忘れていましたが、この頃、仏師になりたいなんてことを口走ったことがあるようです。
ぼくは寺で育った人間ではありませんし、とくに仏教の信仰を持っていたわけではありませんが、十一面観音さんにだけはご縁があったようです。

8月8日の観音おどりの夜だけ、ご開帳をします。

仁王 におう

この観音堂の中にはなぜか仁王さんがいてはります。
もともとは仁王門にお住まいでしたが、神仏分離で仁王門の土地が神社の所有になって以来ずっと、観音堂に仮り住まいしておいでです。

右が口をを開いた「阿行(あぎょう)」、
下が閉じた「吽行(うんぎょう)」。

「あ」は始まり、「ん」は終わりを示し、「あうん」で全体を表すとされています。

本名は金剛力士。金剛杵(こんごうしょ)と呼ばれる武器を持ち、お釈迦さまのガードマンです

筋肉隆々の仁王さんのルーツは、ギリシャ神話のヘラクレスといわれています。


お百度石 おひゃくどいし

観音堂の正面にお百度石が立っています。

ここと観音堂の間を100回往復するのが「お百度参り」。「お百度を踏む」ともいいます。

ごくたまにお百度を踏んで、願いごとをことをしている人を見かけます。

よく車がぶつけるので、しばらくお休みしておられましたが、数年前にカムバックしてもらいました。そばにいる石は、お百度石のガードマンです。


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